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シニアカレッジ新潟

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シニアカレッジ新潟ブログ

BSN「週刊 県政ナビ」にシニアカレッジ新潟が紹介されます

2024.3.5
 3月10日(日)11:40~BSN(新潟放送)「週刊 県政ナビ」に、シニアカレッジ新潟が紹介されます。放送の内容は、『令和6年度学生募集』と『卒業生のその後』についてです。
 ご出演いただいた卒業生は、令和2年度長岡クラス卒業の藤巻靖久さん。藤巻さんは、基礎応用課程(2年制)を受講され、卒業後は長岡クラスの運営協力員も務めてくださいました。カレッジを受講した感想や、現在「新潟歩く会」のメンバーとして、会員の皆さんとウォーキングを計画し活動されている様子が紹介されます。詳しくは、当日の放送をご覧ください。

※令和6年度の学生申込は3月15日(金)から始まります。週刊 県政ナビをご覧になり、関心をお持ちになった方は是非、お申し込みください(ホームページ「学生の募集・申込」フォームから申し込むことができます)。


【会のメンバーとトレーニングで歩くやすらぎ堤(新潟市)で、インタビューを受ける藤巻さん】




【実際に歩いていただきました】

 


「佐渡島の金」を掬(すく)う ~「佐渡を世界遺産に」に学ぶ~

2023.8.8
 今年度、基礎応用課程でご講義いただいた「佐渡を世界遺産にする新潟の会」専任講師の山田修さんより、学生の皆様へメッセージをいただきました。

(以下、原文のまま)

 「佐渡島の金山」の世界遺産登録への道は剣が峰にあります。国により令和5年2月にユネスコ(国連教育科学文化機関)に正式に推薦され、夏~秋にかけイコモス(ユネスコの諮問機関)の現地審査を経て、同6年にはユネスコで審査・登録の可否審議にかけられます。イコモスは年明けの中間報告を含め春には<登録><照会><延期><不登録>の4段階の判定を示す予定で、推薦資産の価値評価や登録すべき遺産の保存管理状況を勧告するのです。

●佐渡は時の政権の〝宝物庫〟
 佐渡は奈良時代以降、越後と並んで国府がおかれた国の重要拠点でした。北方監視や海防への備えもあったでしょう。その拠点・佐渡で千年ほど前、西三川で砂金採取の記録が残っています。戦国時代には鶴子銀山、続いて相川金山の採掘が続きました。16世紀末には全国からの献上金の6割が越後・佐渡産でしたし、江戸幕府初期の年貢41万両のうち佐渡からの金銀上納額は8万3千両だったので、佐渡の金銀は当時の幕府財政の2割を占めていたのです。

●新聞小説「佐渡絢爛」に見る金山事情
 新潟日報朝刊で連載中の「佐渡絢爛」には、事件を絡ませて佐渡金銀山を巡る奉行所や鉱山労働者、町人らの葛藤が描かれています。江戸中期になると佐渡金山は枯渇し始める一方、水没した鉱脈を生き返らせる事業は〝佐渡の再生〟そのものでした。このブログ2回目に触れた佐渡奉行・荻原重秀も登場しています。幕府直轄領の佐渡は相川金山発見で全国から人が集まり、新田開発も一気に進んで石高は13万石。佐渡だけで長岡藩の倍近い石高だったのです。

●鉱石採掘から小判製造まですべて「手作業」
 「佐渡島の金」が後世に残すべき世界の遺産という根拠は、なんといってもそのすべてが手作業によることです。世界的に見ても類例がありません。採掘跡、水路、住居エリア等のほか数多く残る絵巻物や文化も重要な歴史の証人です。世界遺産は不動産が柱ですが、数多く伝わる〝物語〟も忘れられません。

●「世界農業遺産」と「日本ジオパーク」で「佐渡世界遺産」を掬う
 金山がもたらす物資の調達等で農業以外にも収入源があった佐渡には、下越地方に存在した大地主は育ちにくかったようです。自作農地には細やかに目が届きます。先に佐渡が世界農業遺産に選定されたことは偶然ではありません。また日本列島形成の縮図といわれ、日本ジオパークに指定されたことも佐渡の世界遺産登録への欠かせない構成資産ではないでしょうか。私は「世界農業遺産」「日本ジオパーク」という両手で「佐渡島の金」を掬い上げる構図(三位一体)も世界遺産登録への重要なポイントだと認識しています。


【山田講師】



【講義の様子】


 


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